今日は、授業中にサイトの構想を練りつつ、放課後に例会向け文章の作成を行おうとしたものの、やはり無理でした。追い詰められないと作業に集中できないこの性格、どうにかしないとスリル満点の日常を送ることになってしまう気がします。それはさておき。
今日は、zerosen先生から公式サイト内に日記を書く場所を作ってはどうかと提案されました。なるほど、確かに親しみが湧くコンテンツだと思います。しかし、私は反対の立場をとらせて頂きます。以下に理由を考察します。
まず、日記のようなコンテンツを作成することによって得られると思われる利点について考えます。第一に、先に述べました通り、閲覧者から制作者への親しみが湧きます。日記のような文章は、人間性を多分に含むからです。第二に、制作者側が楽しいと思います。日記のような文章を書くことは、文章を書くことがよほど嫌いではない限り、日々の楽しみとなり得ます。第三に、サイトの更新頻度を容易に高めることが出来ます。言うまでもなく、日記はDailyなものですから、基本的に毎日新しい文章を公開することが可能です。また、多くの日記サイトがそうであるように、不定期更新などということにして、手頃に執筆のペースを調整することが出来ます。Webサイトにおける日記というコンテンツの魅力を挙げるとするならば、以上のような三点が、だいたい一般的なものであると思われます。
これらに対する、私の反論は以下の通りです:

親しみは必要ない
そもそも、WWWは文章と文章を結びつける機構であり、人と人とを結びつけるものではないと考えます。特に、今回作ろうとしている、ある団体の公式サイトのような場合、「中の人の存在」を前面に押し出すことは、メリットよりもデメリットのほうが多いのではないでしょうか。なぜなら、人が存在するということは、そこには少なからず人情のようなものが発生するということであり、これが時として非常に不健全な体質を生むと考えられるからです。殺伐とした雰囲気があまり気持ちのいいものではないということは認めますが、我々の目指すべきものは、その先にあるのではないでしょうか。ただし、これは特定個人がWWWにリソースを公開してはいけないと述べているわけではありません。個人で運営するWebサイトに対して「殺伐とせよ」と命令しているわけでもありません。しかし、今作ろうとしているWebサイトがあくまで公的なサイトであるということを自覚することは、必要なことではないでしょうか。
制作者の楽しみは必要ない
今回のような公式Webサイトの作成は、本質的に楽しいものではありません。苦しみながら行って当然だと思います。先週の例会で述べたような目的を達成することは、容易なことではありません。利益を享受するために最低限の代償を支払うことは当然です。しかし、逆に個人的な趣味で作成しているようなWebサイトの場合、苦しみながら作成してはいけないと思います。そうでなければ、自分が傷ついてしまいます。傷ついてまで、制作を続ける理由などありません。しかし、今制作しようとしているのは公的なサイトです。
頻繁な更新は必要ない
更新頻度の高さが、Webサイトにとっての本質ではないことは明らかです。一日しか保存されない文章を一年に365回公開するのであれば、可能な限り保存される文章を年に一度だけ公開したほうが、比べものにならないほど良いと思います。また、多くの閲覧者は巡回しているWebサイトの頻繁な更新を望んでいるようですが、リソースの利用者として、そのような態度をとることは間違いなのではないでしょうか。この流れを受けてか、多くの検索エンジンも更新頻度の高さを文章の重要度の判断基準として捉えているようですが、同様に間違った挙動であると思います。あなたがWWWから望むものは、必要とする情報なのでしょうか、それとも巡回サイトの更新なのでしょうか。
くどいようですが、とにかく公私の線引きをしっかりとする必要があるということを、強く主張しておきたいと思います。これは、妹研究会のサイトでも同様です。
ドイツ語検定試験まであと-1日。